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Medical student. Jazz.

「やりたいこと」と「やらなければならないこと」

 最近、世界史の勉強を1ヶ月という期間を区切って始めている。

 高校では理系だったため、日本史か地理しか選ぶことができなかった。しかし世界史は、兄が受験科目として使用していたこともあってか、当時から僕にとって魅力的に映る教科だった。思えば歴史というものをしっかり学んだ機会などなく、せいぜい中学校レベルの歴史しか知らなかったことはとんでもない状況であったと思う。高校1年生のときに一応世界史の授業はありはして、一部の時代だけを扱ったことだけは覚えているのだが(辮髪の強制とか)。

 高校を卒業して8年目の今、僕は塾で数学、化学、物理、英語、地理、などを教えている。何なら理系科目に関しては現役のときよりも解けるようになっているのではないかとさえ思いつつ、生徒が必死に勉強しているのを見ると自分もなにか勉強しなければいけないような気がしてきた。そこで手にとったのが世界史だったのである。

 高校の頃から何気なく憧れを抱いていた僕は、高校を卒業するときに世界史の先生にお願いして山川の詳説世界史Bをいただいていた。卒業してからこれまでに本を捨てる機会は多くあったけれど、これは大事にとってあった。いつかやろう、いつか通読して勉強しよう、とずっと思いつつ、結局やることはなくここまできてしまったけれども、大事にとってあった。

 そんなこんなで世界史の勉強を始めてから、感じ始めたことがある。「僕はなぜ、現役の高校生の時に世界史を勉強しなかったのだろう?」

 そして感じたことがある。やらなければならないこととやりたいことのバランスの、経時的な変化だ。

 僕が高校生だったとき、勉強が楽しいと思い始めた頃には、やらなければならなかったことは受験勉強だった。高3の夏頃。そのときには受験で使わない世界史を勉強するなど考えられなかった。つまり、僕にとっての勉強は「やらなければならないこと」で埋め尽くされていた。

 それより前はどうだったかというと、勉強に関しては最小限にとどめており、部室で漫画を読んだり後輩とご飯を食べたり少しお出かけしてみたり、ゲームをしたり、それが僕にとって「やらなければならないこと」だった。

 やらなければならないことで埋め尽くされていた頭。ある種受動的に勉強を続け、志望校もまぁ、なんとなく決定し、のほほんと進んでいった人生。「やりたいこと」という尺度で物事を考える習慣は僕にはついていなかった。

 大学を受け直すことを決意したときには、医師になりたいと言う気持ちが半分、医学を勉強したいという気持ちが半分だった。現在は、医師になりたいという気持ちが大きいが医学に貢献したいという気持ちが大きくなってきている。

 いろいろなところで「先のことはわからないから、やりたいことをやるしかない」と聞く機会が増えてきた。もともとは内科の教授の講義の中で聞いた言葉だが、何気ないその言葉が僕の胸になんとなく残っていた。

 勉強だって、やりたいときにやればいいんじゃないか。これまでは「やらなければならないこと」でいっぱいだった自分の時間を、「やりたいこと」に使ってもいいんじゃないか。そう思うと、自分がこれまで獲得することができたはずの貴重な機会を逃してきたことにようやく気づいた。

 大学生は好きなだけ勉強できる夢のような時間だったんだ。やりたいことというのは海外旅行でもサークル活動でも恋人と遊ぶことでも、なんでもよかったんだ。そう思うと肩の荷がふっと下りたような気がして、ゆっくりではあるけれど自分の世界を広げることができるような気がした。

 高校生の時に比べると、やりたいことをできる時間は増えたと思う。きっと、年齢を重ねるにつれやりたいことをできる割合が増えていく。そんな中で、自分を研鑽し続けるためにどのようなことができるだろうか。歴史をもっと深く勉強したいという思いが強まる。法学もいいな。芸術も知りたい。色彩検定も取りたい。ワインソムリエ?医学も少しは。

 流行りの「やりたいことリスト100」とか作ってみようかな。人生をいかに豊かに生きるかを考え始める段階にきているのかな。